アドラー心理学について

    日本において「アドラー心理学」に対して世間の認知が大きく広がったのは、201312月に発売された「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健(ダイヤモンド社)という本が始まりと言われています。 
   この本が爆発的に売れた日本では累計200万部以上のベストセラー。中国や韓国、台湾でもベストセラー)ことにより、関連本が次々と出版される「アドラー心理学」ブームが起こりました。 
    この「嫌われる勇気」に書かれている内容に関しては、アドラー心理学業界では、賛否両論ありますが、私の考えとしては、基本的にはアドラー心理学の入門書として、よくできている本だと思っています。
   2016年には「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」も発売されています。こちらも良い本ですね。
   ちなみに2017年には、同名の「嫌われる勇気」というタイトルで、テレビドラマ化もされました! こちらは、あくまでも「アドラー心理学っぽいものを使ったドラマ」であり、アドラー心理学をきちんと正しく紹介したものではありません。まあ、あくまでも「ドラマ」ですね。     
 
   では、以下にこの「アドラー心理学」の概要と、その創始者アルフレッド・アドラーについて、簡単にご紹介しましょう。

 


  アドラー心理学とは

 

 正式名称は「個人心理学 Individual Psychology」 

 オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーによって創始されて、その後、弟子達によって引き継がれて発展し続けている心理学体系の総称。

 「個人心理学」という名称は、個人のみに焦点を合わせるように誤解されることが多いため、この名称は日本ではあまり使われていません。(学会名で「日本個人心理学会」というものがあります!)  現在は「アドラー心理学 Adlerian Psychology」と呼ばれることの方が多いです。

 この心理学は、全体像として「思想」「理論」「技法」の三位一体をなしているのが、大きな特徴です(鈴木・八巻・深沢,2015)。

 アドラー心理学における「思想」とは、アドラー心理学が考える「人間観」「幸福論」などの基盤となるものと言えるでしょう。そして、アドラー心理学の「思想」の中心は「共同体感覚 Gemeinschaftsgefühl : Social Interest」であると言われています(Adler, 1931)。この「共同体感覚」とは「自分の利益のためでなく、人々の利益のために現実的な解決目標を考え、それに向かって効果的な行動を選択し実行すること。他者を『仲間』であるとみなす意識と行為のこと。」と定義することができます。「共同体感覚」という訳ではありますが、それが指しているものは「感覚」という内的なものにとどまらず、「他者への関心」を持ちながら、他者と仲間になっていき、仲間とともに共同体に貢献していこうとする意識と行為の両方を含んでいる思想概念です。このような共同体感覚の思想は、アドラーの臨床実践の中から生まれてきた「臨床思想」とも言われています(八巻,2016)。

 アドラー心理学の「理論」には、次に示す代表的な5つの「基本前提」があります。 

 ⑴「目的論」:人は、目標や目的なしでは、思考・感情・意思・行動が機能しない。 

 ⑵「対人関係論(あるいは社会統合論)」:人間の悩みは,すべて対人関係の悩みである(岸見・古賀,2013)。 

 ⑶「認知論(あるいは仮想論)」:人のものの見方は十人十色である。 

 ⑷「全体論」:人は分割できない全体であり、全体は部分の総和以上である。 

 ⑸「主体論(あるいは個人の主体性)」:人間は主体的なもので,全て自分が決めている。  

 これらは、アドラー心理学による人間理解・人間観の理論でもあります。まとめてみると、人は絶えず、社会の人間関係の中で(対人関係論)、一貫して(全体論)、人生を選びながら(主体論)、意味づけて(認知論)、目的に向かって生きている(目的論)というふうにアドラー心理学では考えています。 そして、さらに人生を有益な方向に向かうような人の内面を叙述したものを、アドラー心理学では「勇気 Courage」と呼んで重要視しています(Manaster & Corsini , 1982)。

 アドラー心理学における「技法」として代表的なものは、ライフスタイル分析、勇気づけ、早期回想法、などがありますが、他にも課題の分離(八巻, 2021)、論理的結末、家族会議、クラス会議などがあげられます。ただ、これらは技法として独立しているものではありません。現代アドラー心理学では、技法的には「システム論的家族療法」や「ブリーフセラピー」「ナラティヴ・アプローチ」「認知行動療法」なども、積極的に取り入れられていますが、それらの技法を使用する際には、その背景にしっかりと上記の「思想」と「理論」とを結びつけて運用することが重視されています。

 アドラー心理学は、「文脈心理学 Context Psychology」と呼ばれることもあり、無意識を重視する深層心理学あるいは精神分析の一派というよりも、むしろそのアンチテーゼであると言えるでしょう。あるいは、現代のシステム論的家族療法やブリーフセラピー、そしてオープンダイアローグの理論と実践の先駆け、あるいはそれらの源流と言っても良いものを、アドラー心理学は100年近く前にすでに提供していたと言えます(八巻, 2017)。

 

 

《文献》

・Adler, A. (1931) What Life Should Mean to You. Little, Brown . (岸見一郎 訳 (2010) 人生の意味の心理学. アルテ.

岸見一郎・古賀史健(2013)嫌われる勇気.ダイヤモンド社.

・Manaster,G.J. & Corsini, R.J. (1982) Individual Psychology : Theory and Practice. F. E. Peacock.

  (高尾利数・前田憲一   訳 (1995) 現代アドラー心理学(上).春秋社.

鈴木義也・八巻秀・深沢孝之(2015)アドラー臨床心理学入門.アルテ.

八巻秀(2016)学校臨床活動における原点としてのアドラー心理学.子どもの心と学校臨床,14,遠見書房,63-68.

八巻秀(2017)〈ブリーフ〉はどこから来たのか,そして,どこへ向かうのか−〈ブリーフ〉の臨床思想の試案.

   「ブリーフサイコセラピー研究」 第26巻  1号,  p.7-20.   

八巻秀(2021)「課題の分離」を再考するー包括概念としての「課題の分担」の提案ー. 「個人心理学研究」 第2巻  第1号 ,     

    p.33-43.  


アルフレッド・アドラーについて

  アルフレッド・アドラー Adler, A. (1870年〜1937年)

 個人心理学(アドラー心理学)の創始者。1870年にオーストリアのウィーン郊外で穀物商の家に7人兄弟の次男として生まれ、1937年にスコットランドのアバディーンで亡くなりました。

 幼い頃「くる病筋肉や骨の痛みなどの症状)」で苦しんだと言われていますが、この経験が原点となって、個人心理学の初期の代表的理論「器官劣等性」が生まれたとも言われています(Ellenberger, 1970)。

 1895年にウィーン大学医学部を卒業後、貧しい人々が多く住むウイーン郊外の地域に診療所を開業。その腕の良さが評判となって、同じウイーンで開業していたフロイトから研究会への招待を受け参加しました。その点では、フロイトとはあくまでも対等な共同研究者であった言えますが、それぞれの考え方の違いから1911年に決別します。その違いとは、「個人・心」に焦点を当てたフロイトと「対人関係・関係性」に焦点を当てたアドラーという違い、そこから生まれてくる治療理論や人間観の根本的な違いがあって、その隔たりは想像以上に大きかったと言われています(八巻, 2020)。1914年には自らのグループを「個人心理学会」と名付けました(Hooper & Holford, 1998)。

 第一次世界大戦には軍医として参戦しました。その戦争体験は、マルクス主義者だったアドラーを、新しい考え方・思想に転換させて、政治によってではなく、育児や教育などによって社会を構成する人間そのものを変えていくことが必要と考えるようになっていきます。

 終戦後の1920年代、経済的に破綻し、犯罪が増加していたウィーンで、アドラーは、それまでの診療所での診察にとどまらず、市に働きかけ、教育改革の一環として、世界で初めて児童相談所を設立させます。そこでは無料で教育困難とされた子どもたちとその親のカウンセリングを積極的に行い、また教師の前で講義や公開カウンセリング等の場を設けて、自らの治療法を積極的に公開するといったコンサルテーションの先駆けとも言える活動を行いました。この頃までに、アドラーは中部ヨーロッパでは児童心理学と家族関係に関する重鎮として認められるようになっていきます(Hoffman, 1994)。

 1926年(56歳)に初めてアメリカに渡り、一般市民から医師などの専門家まで,幅広い層を対象として,講演・研修活動を行い、その講演内容の素晴らしさが評判を呼び、さらにアドラーの著作の英訳本が全米でミリオンセラーとなります。 その後、毎年のようにアメリカを訪問し続け、全米各地で精力的に講演活動を行い、それらの講演を聞いた者の中には,若きセラピストであったマズローMaslow, A.H.) やロジャース(Rogers, C.R.)もいたという記録が残っています。

 そして1934年には、家族とともにアメリカに移住することになります。このように1920年代後半から1930年代にかけて、アドラーの考え方は、アメリカの人々の大きな注目と関心を得ることになっていきました。

 アドラーをアメリカで有名にさせた要因となったのは、アドラー自身の「愛想の良さ,楽観主義,温かさ」という性格的な特徴だったと言われています(Hoffman, 1994)。それは治療や講演会におけるアドラーの態度に見られて、そのような姿勢を、現代のアドラー心理学では「治療的楽観主義 Therapeutic Optimism」と呼んでいます(鈴木・八巻・深沢,2015)。

 アメリカに渡ってからのアドラーは、その後もアメリカとヨーロッパを行き来しつつ、精力的に働き続けました。1937年春に、ヨーロッパでの一連の講演などのために、スコットランドのアバディーンを訪れていましたが、そこでの講演前にホテル近くを散歩している最中、突然心臓発作で倒れ、急死。享年67歳でした。

 

 

《文献》

・Ellenberger, H.F. 1970 The Discovery of Unconscious : The History and Dynamic Psychiatry. Basic Books Inc.

 (木村敏・中井久夫 監訳 (1980) 無意識の発見(下)弘文堂.

・Hoffman, E.(1994) The Drive for Self : Alfred Adler and the Founding of  Individual Psychology. The Martell Agency,  New York.  岸見一郎 (2010) アドラーの生涯.金子書房.  

・Hooper, A & Holford, J. (1998) Adler For Begineers. Writers and Readers Publishing, Ins.,c/o Benay Enterprises, Ins.鈴木義也 訳(2005)初めてのアドラー心理学.一光社.

鈴木義也・八巻秀・深沢孝之(2015)アドラー臨床心理学入門.アルテ.

八巻秀(2020)臨床心理学において「関係」を重視すること. 「個人心理学研究」  第1巻  第1号 ,  p.9-16.