この「鼎談」は、「アドラー臨床心理学入門」(アルテ 2015年発売)を執筆した3人が、執筆後の思いを翌年の2016年11月に都内の会議室に集まって語り合ったもの。
この当時は、3人とも「アドラー心理学をもっと心理の専門家に知ってほしい!」という思いがベースにありましたが、まさかその2年半後の2019年3月に、日本個人心理学会を設立することにまでなるとは、この時は想像もしていませんでしたね(まあ〜妄想はしていたかな 笑)。
ちなみに現在、鈴木先生は学会長、深沢先生は副会長、私は事務局長をやっていて、学会活動を牽引しています。
あらためて今、この「鼎談」を読み返してみると、3人のアドラー“臨床”心理学に対する熱い思いが伝わってくるし、この熱い思いが、学会設立の力の1つになったのかな〜と思うと、感慨深いものがありますね。
ここで述べている様々な私の考えは、6年近くたった今も変わらずにいるな〜さらに進めていきたいな〜と確認できたように思います。 (2022年4月 記)
鈴木 義也 (すずき・よしや: 東洋学園大学 人間科学部 教授、臨床心理士)
深沢 孝之 (ふかさわ・たかゆき: 心理臨床オフィス ルーエ代表、臨床心理士)
八巻 秀 (やまき・しゅう: やまき心理臨床オフィス代表、駒澤大学 文学部 教授、臨床心理士)
以上、所属・資格は、2016年当時のもの。
以下、苗字のみ(敬称略)
2013年に発売された『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)のベストセラーから始まり、現在も続いているアドラー心理学ブーム。 そのアドラー心理学を、もっと様々な対人援助職の人たちにも、理解して実践していってほしいという願いを持って、『アドラー臨床心理学入門』(アルテ 2015年)を執筆した上記の3人の臨床心理士が、2017年の1月に東京でワークショップを開催した。
それに先立って、その3人に2016年11月、都内某所に集まっていただき、「なぜ今、アドラー“臨床”心理学を学ぶ必要があるのか」ということについて、鼎談として3人自由に語ってもらった。
《写真&編集:加藤 知子(知企画)》
(八巻)
我々3人は、「アドラー心理学」だけではなく、「アドラー“臨床”心理学」が、もっともっと世の中に、特に専門家に浸透してゆくべきだという考えのもと、『アドラー臨床心理学入門』(アルテ)を執筆したんですけれど、では改めてなぜ、臨床心理士にだけではなく、色んな対人援助職の専門家の方に、「アドラー“臨床”心理学」を学んでほしいという思いや、もっと浸透していって欲しいという思いや哲学があるのかを、3人それぞれお話ししていこうと思いますが~どうしましょうか、誰から話しましょうか?・・・じゃんけんポンで決める?(一同笑)
(深沢)
あいうえお順 ? なんて (笑)
(八巻)
ということは・・・、す・・・鈴木先生が一番ですね。大体、これまでも、この順番なんですよね。(笑)
(鈴木)
主に、一般の方というよりは、専門家の方が対象ですよね。
(八巻)
一般的には「アドラー心理学入門」というタイトルの本は、最近はアドラー心理学ブームのせいで、世の中に沢山出ていて、そんな中で、あえて我々は、“臨床”をつけたんですよね。
(鈴木)
うちの学校のマスメディアの先生が、ゼミ生から「マスメディアの現象として、アドラー心理学を取り上げたい」と言われたとのことで話しを聞かせて欲しいと言われたり、心理に全く関係ない人から「アドラーの本を読んでます」とか、弁護士さんからも「アドラー臨床心理学入門」を読んでいると言われたりしています。教員の間にもそこそこ広まっていて「勇気づけ」という言葉も浸透している、そんな感じはします。
山でいえば、裾野はかなり広がった、という感じがするんです。 ただ、その肝心の僕らでいえば、臨床心理士の間では、ちょっと弱いなと・・・。
この秋の、関東地区学生相談研究会で、アドラー臨床心理学入門のお話させていただいたんですけれど、知っている人は少ない。ベストセラーになっている「嫌われる勇気」もあまり読まれていない。
(八巻)
学生相談の研究会って、それは臨床心理士ばかりですか?
(鈴木)
はい、臨床心理士。 裾野は出来ているんだけれど、何合目かな、わからないけれど、6合目とかかな。まだ上の方がね、これからやはり地固めしていかないといけない必要があるかなと。
(八巻)
上の方というのは専門家?
(鈴木)
はい、教育の専門家も、心理の専門家も。 特に心理の専門家には、もっと浸透していって欲しいという思いはありますよね。 噴火口をつくっていきたい 。
(鈴木)
逆に聞こえるかもしれないですけれど、山が6合目まで出来ちゃっているのに、その先、やらない訳にいかないでしょ、というか・・・。世間の流れがそうなっている。
(八巻)
お~、必然!!
(鈴木)
アドラー“医学”ではなく、アドラー“心理学”。山の上の方が、心理の部分。噴火口が無いカルデラ状態になっているイメージ。これを活火山にしていきたい。 世間との溝は埋められてきており、既にニーズはあるし、学びたいという人がいるからこそ、それに応えていきたいという想いがあります。
なぜ、カルデラが出来たのかという話ではないんですよね。これからどうしていくか、という話になりますけれど、これからはやはり、噴火口をつくりたいです。 だからある意味、今までのアドラー心理学は「死火山」だったんですね。
(深沢)
休火山ね(笑)
(鈴木)
あ、休火山(笑)
(八巻)
殺しちゃいけない(笑)
一同笑
(鈴木)
休火山で、噴火してない。やはり活火山化にしていきたいっていうね。「目的先にあり」という感じです。 持っていて損はない。
(深沢)
アドラー自身が、精神科医・臨床家で、心理学という形で打ち出して、様々な社会階層の方達の診療したり、児童相談所を作ったり、学校コンサルテーションも始めたりと、ものすごい臨床家だったじゃないですか。
アドラー心理学自体も、いろいろな流れの中で、現代の心理臨床の各アプローチに直接的、間接的に影響を与えているというのは事実としてあるじゃないですか。ですからその事実というものをちゃんと認めよう、という想いはありますよね。
多くの専門家や臨床家の方達が、そこをちょっと見逃しているなと。贔屓の引き倒しかもしれないけれど、ちゃんと見てもらいたい、というのはあります。それに対して言及しないことは、学術的にもある意味、不誠実な気もしないでもないし。
実際臨床をやっている立場では、とてもいい感触を僕たちがアドラー心理学に感じるから、こだわっている部分があるじゃないですか。そういったものをうまく表現できればな、と思います。
深沢 孝之(ふかさわ・たかゆき):
山梨県甲府市にある「心理臨床オフィス・ルーエ」代表。臨床心理士。臨床発達心理士。シニア・アドラーカウンセラー。 山梨県の児童相談所や県立中央病院などで勤務の後、現職。山梨県臨床心理士会副会長なども務めている。山梨県を中心にアドラー心理学の活動を行っている。長年ブログ「山梨臨床心理と武術の研究所」もやっている。 全日本柔拳連盟甲府支部長(気功法、太極拳等武術の稽古と指導)という武術家でもある。 (2016年当時のプロフィール)
(深沢)
また、これまで自己啓発やムーブメントとしてのアドラー心理学が強調された結果、一般の方と専門家の対立、分離みたいになりそうなのが気になっていました。今は一般の方もかなり専門的な知識がある方もいらっしゃいますし、専門家だからといっても特別な人じゃないし、普通の生活人でもあるので、あまり垣根を考えなくていい時代だと思います。
しかし「一般のためのアドラー心理学」としてムーブメントに偏り過ぎると、専門家の方は近寄りにくくなっちゃうし、実際多くの専門家は「俺には関係ない」と思ってしまいがちでした。一方であまりに専門家向けっぽくしちゃうと、一般の方は入りにくくなるというジレンマがあります。これはアドラー心理学に限らないことです。
丁度、アドラー心理学は、その間をつなぐにはいい媒体かなという気はするんですよね。私たちを含めて普通の人が生活や生きることをよりよくするということに十分使えるし、臨床の中でも、けっこう難しいクライアントさんや困難事例とされているケースに対しても、アドラーを学べばかなりの理解力や対応力をもつこともできます。もちろんいろいろな臨床心理学的アプローチとのコラボレーションも大切だと思います。それは矛盾するものではない。臨床家はアドラー心理学を持っていて、知っていただいて損はないと思います。そもそもが、アドラー心理学は「臨床心理学」なので。
(八巻)
そうですね、アドラー心理学はアドラーの臨床実践から生まれてきた、「臨床心理学」なんですよね。元々はね。それが世の中では全然知られてなかったというところはある。
(深沢)
それが大事なところなんじゃないかと。
(八巻)
我々が書いた本というのは、そういう意味ではよかったですね。 まさに本来のアドラー心理学に戻ったというか。
(深沢)
そしてアドラー心理学がカバーする分野は臨床から始まって教育、親と子の関係、子育て、人材育成・・・とてつもなく広がったわけです。
(鈴木)
アドラー心理学が、臨床心理士の人たちから、必要なものだと思われていない。分け方で言うと、世間の心理学だと思われている。専門家のための心理学だと認知されていないことが、先ほどの僕の話と繋がるんですけど、そこがやっぱり休火山になっちゃうというか・・・。実は世間の方々が思っているより遥かに、専門家に学ばれていない。 それが、陥没していてアンバランスだなと。
(八巻)
専門家がアドラー心理学を学んでいく、それも「アドラー臨床心理学」を学んでいく、という意義についての私なりの考えは、まず現代の専門家の中では、ある意味、混乱があるような気がしているんですよ。いや、混乱というよりは、臨床技法の百花繚乱。つまり色んな技法が日々どんどん生まれてきて、常に臨床家は、新しいものを学び続けなければならない状況になっていると思うんです。
ちょっと前だったら認知行動療法だし、今はマインドフルネスだし。この業界での臨床技法のブームは必ずある訳ですよね。でも、冷静に考えてみると、そのようなブームがある事自体がちょっとおかしな話で、次から次へと新しい技法ばかりが開発されて、それを次から次へと学んで臨床をやっているという状態は、とても不健全な感じがするんですよね。
そんな中で、私自身がアドラー心理学に惹かれたのは、それこそアドラー心理学で言われている3点セット、「技法」と「理論」と「思想」というのがあるじゃないですか。特にその中で、「思想」的な側面を明確に提示しているというのが、アドラー心理学の強みだと思うんです。
もう一回我々臨床家は、思想的な部分、その人間観なり哲学なりを、きちんと自分の今やっている臨床技法と結び付けた形で、あらためてやっていくことが、現代の臨床実践では、とても大事になってきているんじゃないかなと。
八巻 秀(やまき・しゅう):
東京都立川市にある「やまき心理臨床オフィス」代表。臨床心理士。指導催眠士。駒澤大学文学部心理学科教授でもある。精神科クリニックやカウンセリングセンターなどで家族療法やブリーフセラピーを実践する傍ら、細々とアドラー心理学を学びつつ実践してきた。
現在は、オフィスで臨床実践を継続しつつ、産業カウンセラー協会や各地の教員研修、臨床心理士会研修などで、アドラー心理学についての研修講師を担当する機会が増えている。 こよなく蕎麦と日本酒を愛す、グルメな酒豪でもある。 (2016年当時のプロフィール)
(八巻)
今、大きな精神医療の中で大きなムーブメントになってきている「オープンダイアローグ」も、「対話主義」とか「ダイアローグの思想」とかいうことが言われていて、それこそその臨床実践において、その前提の思想的側面がすごく注目されているんですよね。
その思想的側面があった上で、オープンダイアローグのやり方があるので、結果的にはすごく治療的効果があると言われている。
そして、そのオープンダイアローグの研修の流れは、これまでの家族療法がずっと担ってきた「社会構成主義」とか「対話主義」みたいなものをキチンと学ぶ訳ですよ。
その「対話主義」ですらも、私から見るとアドラー心理学の思想とよく似た部分があって、アドラーが100年前に定義した「共同体感覚」を中心とした臨床から生まれた「思想」というのが、現代のオープンダイアローグの実践にもつながっていると考えることができる。 その点でも、今でもアドラー心理学の思想的側面を非常に学ぶ価値があるという感じがするんですよ。
だから、その思想的な部分をしっかり学んだ上で、自分の今の持っている技法と結びつけて考えるっていう事が、今専門家に求められているんじゃないかという気がしてならないんです。 世の中にはいろんな思想があるから、それらを個々に学ぶのはいいんだけれど、この100年の歴史のあるアドラー心理学の「臨床思想」を学ぶ意義は、ものすごく大きいと思うんですね。
私自身も、アドラー心理学の思想的側面を意識しながら、普段の臨床をやっていると、何か自分の臨床感覚がまとまってくるんですよね、自分の中で。
ある人からは「八巻さんは、催眠療法やったり、家族療法やブリーフセラピーやったり、ナラティヴセラピーやったり、いろんな事やってるね~」と言われるんだけれども、私からすると、それらはみんなつながっている。全然矛盾してないから、そのまとまっていく感覚を様々な対人援助の専門家の皆さんに伝えたいなと思うんですよ。
(深沢)
一貫した感覚はありますよね。 やたらと手をだしているという感覚は、僕にもないんですよね。 「深沢先生は、やたらといろんな事やってるね」と言われるんだけど・・・。
一同笑
(八巻)
アドラー心理学を学ぶことによって、今まで自分が臨床実践でやっていることを、さらに補強するようなイメージもありますよね。一見、アドラー心理学とは違うものを一生懸命やっている人が、アドラー心理学を学ぶ事によって、さっきの私の言葉で言うところの、思想的側面を補強するというか。今までやっている事とまったく矛盾しない、むしろ臨床の感覚や技法そして姿勢を強める効果がある、そして広がるような感じがするんですよね。
それが鈴木先生がおっしゃっている、上からしっかり根付くような感覚というのがあると思うんですよね。
今、裾野よりも、ちょっと上の部分はみなさんがやっているんだけど、その上がなくて真ん中だけがあるような感じで、不安定ですよね。
(深沢)
輝かしいスター、星はいくつかあるみたいな・・・カルデラの上に。その間がない。プロとしての実践者の部分かな。臨床や支援の現場で使う実践者が少ないから。
専門家はプライドもあるし、自分の領域を大事にするから、アドラー心理学を知っても臨床現場で納得しないと、自分の日常生活に使ってみようと降りていきにくいかもしれません。それでいいと思います。
今までいわゆるアドラーって、一般の方向けの運動、という形でやること自体はよかったのかもしれないんだけれども、そうするとさっきも言ったように、専門家とつながりにくくなる。お母さん向けのアドラーだっていうことで。本当は両方が大切なはずです。
広がっていくのはいいんだけれど、今度は、本や一般の方向けの講座などで学んだ方達が、例えば病院の先生に相談にいった場合に、対立的になることが実際あり得るんですよね。対立的というか、認識の違いから距離感が出てしまうので、そこを埋めたいなという想いがありますね。
(八巻)
この前、秋田県の臨床心理士会に呼ばれて「システムズ・コンサルテーション」の研修をしたんです。いわゆるシステム論によるコンサルテーションの考え方なんだけど、それこそアドラー心理学の「対人関係論」という考え方は(アドラー心理学のある学派の中では)「システム論」という言葉で説明されているぐらい似ているんですが。ベルタランフィの「一般システム理論」に比べると、アドラーの対人関係論は、ざっくりなんですよね。でも、やっぱりベルタランフィが、時代的にもアドラーの影響を受けたんじゃないかと思うくらい似ている部分があって。
その秋田の研修でも、多くはシステム論について語りながら、源流はアドラー心理学であると話したんですよ。それを聞いた参加者は、システム論は、原因論じゃなくて、円環的思考とかを考えるから、すごくいいな、と若い臨床心理士達が思ってくれるんですよ。
(八巻)
その研修の中である若手の臨床心理士が「病院では、医者や看護師などの他のスタッフは、ほとんど原因論で考えてしまうので困っている。自分はどうすればいいか」という質問をされたのですが、それに対して、私が答えた事は「まずやっちゃいけない事が2つある」と。
まず1つは「布教活動しない、革命家にならない」。
「システム論って絶対いいですよ~」みたいな「システム論が良いところキャンペーン」をバンバンやってしまうこと。
もう一つは「巻き込まれない」。
頑張って我慢していると、だんだん原因論の世界に巻き込まれてしまって、いつの間にか、自分も原因論者になっちゃうみたいな。
常に大事なのは、このシステム論やアドラーの発想を、原因論に巻き込まれずに、革命家にもならないで、ずっと持ち続けること。そうやっていく内に、必ずいつかはチャンスきますよ、と。
チャンスが来たと思った時に、勇気を持ってちょっと動けばいいと。すると自然に同志が出来てきて、だんだんと広がっていく。これがシステム論だし、アドラー心理学の広がり方でもある。
という考え方が出来る人が、本来の「対人援助の専門家」だと思うんです。
専門家ではないお母さんたちは、ついつい熱く革命家になろうとする人もいるから(笑)、周囲の人たちにどん引かれてしまって、浮いちゃって、いつの間にか周りから「アドラー心理学は危ない!」などと言われて、なくなってしまうこともありますよね。
専門家というのは、「不確実性に耐える能力が必要」という、オープンダイアローグで言われているテーゼみたいなものを、自分自身しっかりと持っている。それが本来の専門家だと思うんです。
そのような「耐えられる力」のもとが「思想」にはあるから、それを専門家が持てば、この思想がとてもいいから、何とか乗り越えていこうと思えるじゃないですか。
ところが、技術や技法だけでは耐えられないですよ。だって、さっきも言ったように、現代は次々と良い技術や技法が開発されてきて、おそらく今後もどんどん新しい技術が開発されていくでしょう。そうしたら、新しい技術に多くの臨床の専門家はつい飛びついてしまうものですよ。
鈴木 義也(すずき・よしや):
東洋学園大学人間科学部教授。臨床心理士。学校心理士。
大学で教鞭をとる傍ら、精神科クリニックにも勤務。早くからアドラー心理学に注目し、2005年には「初めてのアドラー心理学」(一光社)を翻訳。アドラー心理学はもちろんのこと、ブリーフセラピーの解決志向アプローチ等の造詣も深い。日本支援助言士協会の会長や日本臨床・教育アドラー研究会の会長などの要職を勤めている。
多肉植物をこよなく愛し、その収集が趣味。
(2016年当時のプロフィール)
(鈴木)
そうそう、臨床家を人間として見たときに、中は空洞化しているんじゃないかなと。
体の周りに技法をジャラジャラとバッジみたいに一杯つけているんだけど、思想という芯がないみたいな。
昔に比べて、最近の心理療法は、技法だけになってきているんじゃないかと。最近は大きいことは言わず、緻密に細かい事だけで思想からますます離れていると野田俊作先生がおっしゃっていて。 それが、サイコセラピーの流れとしてひとつあるんじゃないかと。
でもアドラーは、パーソナリティとか思想的なものまで、レンジが広いですよね。その空洞化しているところを埋めるのが、アドラーのひとつじゃないかと思うんですよね。
あと思ったのが、思想というのは、おそらく科学にとって今までタブーだったものかと。
現象論のロジャース近辺の方達なんかは、価値観が大事と言っているんですけど、あまりその辺は打ち出してない。思想としての価値観は、おそらくあまり言っていないと思うんですよね。
もちろん、普通の科学だと価値を持つことに対するタブーみたいなものがあって。もしかしたらアドラーが敬遠されてる原因は「価値観がある」という事自体かも知れないけれど、価値観とか思想とかを言うのは、プラスにも働いているし、マイナスにも働いている。
こちら側としたら、マイナスもあるけれどプラスもあるよというところで、行きたいなと思う。価値というのは、科学とかサイコセラピーとかの上でも、価値・思想というのは避けて通れないですよね。技法だけ100覚えればいい、という問題ではないのではないか、価値・思想を出せるのではないかと思うんですよね。共同体感覚とかね。
(八巻)
宗教まで、いっちゃうんじゃなくて。
(鈴木)
そこまでは、上げたくはないですよね。
(八巻)
ギリギリに近い部分で、みんなが共有できるような価値なり思想なりというのが、我々の言い方でいうところの、「臨床思想」なんですよね。それぐらいは、専門家は持ってもいいんじゃないかなという感じはするんですよね。
あとそこから先の、それぞれの宗教の信仰を持つことは、個人の自由ですし、いいと思うんです。 反対に、対人援助職の方が、既成の宗教の考え方をただ真似て、そのまま臨床実践に活かそうとするのは少々安易かなと。
(鈴木)
社会にとって貢献することが、普通の心理学でも求められているじゃないですか。だから、社会に何かプラスになる価値観ならば、全然かまわないと思うんです。そういう価値観で、社会に役立つために研究をやっているというところかな。
アドラーは、社会に役立つため、どうしたらいいかということを、最初から考えていた。
フロイトは、心の現象がどうなっているかというような、真理の探求というやつですし。アドラーは、真理の探求というよりは、なんというんですかね、真理の構築。社会的に有益なものを構築していきたいというスタンスなのではないかと思う。
それが今の時代の流れからすると、心理学や社会科学とかのあらゆる学問とか、企業活動にすら今、社会貢献が求められてきている時代だから、アドラー心理学が「貢献」が大切だという価値観を打ち出したって何の問題もないんじゃない。
(八巻)
真理を探求する研究分野は、もちろん絶対必要だし、やっていいと思うんですよ。ただ、最低でもいえることは、対人援助職の人たちが学ぶべきものとしては、それだけでは全然役に立たないですよね。
だからやっぱり、社会は今どうなっていて、この現代社会で生きていくために、アドラーのセリフで言うと、「いかに幸せになっていったらいいのか」とか、「どういう風に人間関係を作っていったらいいのか」とか、そういったところを提示している部分があるじゃないですか、アドラー心理学は。 その部分を、対人援助職の人たちが学ばないと、もったいないですね。
(鈴木)
ポジティブ心理学が、正にそういう流れに近いですよね。基礎的な方だけど。そういう流れが今までに無さすぎたかなと。どうしても、ネガディブな方の真理探求にいっちゃってた。そういう意味ではアドラーの学びはものすごく意義がある。たぶん臨床家でも、なんとなくその考えを持っている人はいるけれど、理論としてはあまりないだろうと。
(既に終了しているワークショップについて語っていますが、3人のアドラー心理学への注目ポイントの違いや、「力動」という言葉の捉え方についての違いが見えて、面白い語り合いになっています。:2022年4月 記)
(八巻)
では、どうしましょうか、ここら辺で、来年1月に東京の六本木の東洋英和女学院大学で行われる「アドラー臨床心理学入門ワークショップ」についての話を・・・。
1月21日(土)は「理論編」、22日(日)は「ワーク編」というタイトルがついているんですけれど、「理論編は、こういうところを強調したい」とか「ワーク編は、こういう体験をして欲しい」など、アドラー臨床心理学を学ぶにおいて、それぞれ先生方から、どうぞ。
(深沢)
アドラー心理学を全然知らない方も参加される事を前提に考えると、「不適切な行動の目標」や「家族布置」がわかりやすくてシンプルでいいと思います。理論編でお話しして、ワーク編でも実例を出し合うなど。子育て支援やスクールカウンセリングにはまるんじゃないですかね。見立てのキッカケにはなりますよね。時間の関係で全部はできないと思いますが。
「家族布置」は家族臨床をやっていると、特に児童相談所で見立てをしていたときにこの発想はすごく役に立ったので知っていただきたいです。ステップファミリーのような複雑な構成の家族などの理解を見立てのための理論編で学んでいただき、翌日のワーク編でも体験してもらえたらと面白いと思います。
(鈴木)
「生徒指導」という雑誌に連載させてもらっている流れで、生徒指導の視点で、何がアドラーで使えるかというところで、「論理的結末」を取り上げたいです。先生方は、罰に変わるもので生徒指導をしたいんですよね。教員の方で、このワークショップに参加される方は、あまりいらっしゃらないかも知れないですが、教育現場としては、とても使えるものなので・・・かと言って、臨床家としてもケースによっては、「論理的結末」を投げかけて、クライアントと一緒に考えていく上でもとても使えますし、ワーク編では、例えば質問で展開していくのもいいんじゃないかなと考えています。
あと、アドラーのコア的なところでなんですけども・・・「力動」ですかね。
(八巻)
「力動」って、なんかフロイトっぽいな~(笑)
(深沢) 笑
(鈴木)
そうそう、" 力動的な " アドラー心理学を提示したいかなと。ダイナミックな。 病理の形成というか、疾病には目的があって、症状がつくられているというところを、理論でお話しし、また事例としてとりあげて提示できるかなと。
(深沢)
臨床家は当然、臨床現場で病理や問題行動に関心があるから、詳細にお話しすると、腑に落ちやすいのではないでしょうか。
(鈴木)
そうですね、我々は日々、問題や症状に向き合っていて、その症状の意味っていうのを、どう扱っていくか・・・みたいなところ。要するに、精神分析的ではなくアドラー心理学的に。
(八巻)
目的論とか目的性ではなく、「力動」という言葉にする狙いは?
(鈴木)
例えば、学校にいく勇気が乏しいので、症状をつくって学校に行かないようにしている、というような場合として、問題や症状を見ることが力動。症状というのは、自分のライフタスクをしないために使っていたり、世間へのバリケードとして使っているとか。心の中のシステムといってもいいと思うんですけど・・・。
(八巻)
それは「システム」と言いたいところだけれども、力動論はどちらかというと「個人」ですよね。
私の中での「システム」とは、「対人関係」の中で作り上げているものと考えるので、つまり見るポイントしては、個人に焦点を当てたものが「力動」としたものの流れ。対人関係や相互作用の中でみるものは「システム」。
(鈴木)
「力動」も「システム」も、同じ事を言っているんですよね。
(八巻)
そうそう、注目している部分が違うんですよね。今度の1月のワークショップでは、「力動」と「システム」どちらも提示してみるのも面白いですね。
(深沢)
参加者の皆さんの背景はいろいろだから、自分に近いところから吸収していくんでしょうし、両方あっていいと思います。
(鈴木)
「力動」というと、精神分析とほぼイコールとして捉えられるかも知れないけれど、必ずしもそうではない。「フロイト的な力動」もあるけれど、「アドラー的な力動」があるので、セラピーに有効な事例を出そうと思っています。 理論編でもワーク編でもどちらでもできますね。
(八巻)
面白いですね‼︎ アドラー的な力動論が、対人援助やセラピーで有効であるところをつかみたいですね。
(深沢)
八巻先生はどうですか?
(八巻)
私がワークショップで取り上げたいのは、アドラー心理学においては定番の考えですが、「勇気づけ」と「課題の分離」です。
以前、鈴木先生が「勇気づけ」を「応援」という言葉に置き換えても良いのでは? と提案してくださったように、これまでの定番の言葉である「勇気づけ」そのものよりは、エンカレッジメント(encourgement:勇気づけ)というものを、セラピーそのものにどのように有効に使っていけばいいのかという事を、皆さんで検討したいです。
その中で、特に検討したいのは、「間接的コンプリメント」と「質問型の勇気づけ」の違いですね。
「間接的コンプリメント」は、ブリーフセラピーのソリューション・フォーカスト・アプローチ(解決志向アプローチ)で取り上げられている技法なんですが、目の前の相手の背景に何か事情があるに違いないという「もっともな理由」を前提として考える。
それに対して私が名付けた「質問型の勇気づけ」というものは、相手のリソース以上の何かをみて使っている。それらはまったく同じとは言いがたい。
(八巻)
もうひとつの「課題の分離」については、「アドラー臨床心理学入門」を出版してから以降も、自分なりに臨床実践しながら、その考え方を整理してきたんですが、1月のワークショップでは、「アドラー臨床心理学入門」で書いたことよりも、もう少し緻密にして理論的にお話していきたいですね。
よくいわゆる「逆転移」という考え方と混同されがちな「セラピストの中の課題の分離」についても、ワークショップでは理論的に整理したものを解説して、さらに事例を通して、参加者のみなさんとディスカッションして、可能ならそれについてのワークもしていきたいです。そんな臨床家のトレーニングになるような「課題の分離のワーク」が出来たらと思います。
(鈴木)
逆転移や間接的コンプリントと「課題の分離」は似ているからこそ、違いをはっきりさせなければいけないし、精神分析的には逆転移でも、アドラー的には課題の分離になるというか。
(八巻)
ちょっと思い切った考え方かもしれないけれど、「逆転移は縦関係」なんですよ。「課題の分離は横関係」であるというように区別して考えてみると面白いですよね。
(深沢)
あ~、なるほどそうかも知れない。縦関係か横関係かという視点で見ていないから、そこに気づいてもらうワークもいいと思いますね。
参加者の関心として、どんなクライアントに対して、どういったセラピーをしていけばいいかという疑問があるでしょうし、私たちも全てに答えられる訳ではないから、縦関係が有効な場合もあるでしょうし、この場合はどちらがいいかなど、みなさんと一緒に考えていけたらと思いますね。
(鈴木)
コミュニケーションがとれる。このワークショップの規模を生かして、初心者の方も、遠慮なくどんどん質問をして欲しいですね。みなさんと作り上げていく事が出来る研修会。そんな気楽さが売りですね。
(深沢)
経験的には、臨床家のキャリア形成として考えると、まずアドラーのようなマイナーな心理学に手を出してみるのもいいですね。マイナーだからこそ育てていくという感覚。有名になると育てた喜びもありますし、推していたアイドルを育てたみたいに(笑)。マイナー代表としてメジャーな人たちとの対話力も身につきます。
まずは、マイナーのアドラーから(笑)
(八巻)
この鼎談をやってみて、あらためて確信したんですが、これまでのアドラー心理学の研修というのは、圧倒的に一人の講師がやることが多いですが、今回のワークショップは、講師というかコーディネーターが3人同時でやるという面白さがあるな、と。三者三様の多面的なアドラーの考え方を聞きながら、ワークしながら、多面的に学べることは、この研修のとても大きなウリですね。
3人でやるというのは何かいい例えがありますかね・・・信号機の赤、青、黄とか・・・
(深沢)
光の三原色!
(八巻)
漫才のレッツゴー三匹とか(笑) 古いか。
(鈴木)
音楽に例えて、トリオの演奏!
(八巻)
かっこいいですね~! 3人での音楽といえば、YMOとか? これも古いか〜笑!
(鈴木)
ソロライブではなく、トリオのライブセッション。アドラー心理学のライブだから、観客も演奏に入ってもいいですよ、みたいな。
(深沢)
面白いですね~ トリオのセッション!!
(八巻)
いや〜多くの方に、私たちのトリオ・ライブを聴きに、そして体験しに、来年1月に来ていただけると嬉しいですね〜!! 今日はとても刺激的なお話しをありがとうございました!
【ワークショップのご案内】終了しました
◆2017年1月21日(土) 13:00~17:00 「アドラー臨床心理学入門ワークショップ【理論編】」 終了しました。
受講費:8,000円(事前振込)
◆2017年1月22日(日) 10:00~17:00 現場で使えるカウンセリングセミナー「アドラー臨床心理学入門【ワーク編】」
受講費:10,000円(事前振込)
会場は両日共に、東洋英和女学院大学 大学院 (東京都港区六本木5-14-40)
主 催 : やまき心理臨床オフィス (日本支援助言士協会 共催)
お問い合わせ : やまき心理臨床オフィス
〒190-0022 東京都立川市錦町1-19-21 TEL: 042-523-8240
以下、2016年当時の鼎談者のプロフィール。
◆鈴木 義也(すずき・よしや) 東洋学園大学人間科学部 教授。臨床心理士。学校心理士。ガイダンスカウンセラー。支援助言士。日本臨床・教育アドラー心理学研究会会長。日本支援助言士協会 会長。著書に『まんがで身につくアドラー』(あさ出版)、訳書に『初めてのアドラー心理学』(一光社)など。
◆深沢 孝之(ふかさわ・たかゆき) 心理臨床オフィス・ルーエ代表。臨床心理士。臨床発達心理士。シニアアドラー・カウンセラー。山梨県臨床心理士会副会長。山梨県学校臨床心理士委員会委員長。日本支援助言士協会 顧問。監修に『「ブレ」ない自分」のつくり方』(PHP研究所)、編著に『アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門』(アルテ)など。
◆八巻 秀(やまき・しゅう) やまき心理臨床オフィス代表。駒澤大学文学部心理学科 教授。臨床心理士。指導催眠士。日本ブリーフサイコセラピー学会理事。日本支援助言士協会 顧問。監修に『スッキリわかる!アドラー心理学』(ナツメ社)、編著に『学校現場で活かすアドラー心理学(子どもの心と学校臨床 No.14)』(遠見書房)など。